そらになる心は春の霞にて 世にあらじと思ひ立つかな
春の霞のように虚空になりたいこころが漂っている、 わたしはこの世を出ようと思い立つのだ...。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 山家集の詞書に、「世にあらじと思立ちけるころ、東山にて人々、寄霞述懐と伝事をよめる」とあるから、西行が23歳で出家する直前の作だろう。いかにも若者らしいみずみずさにあふれているとともに、出家のための強い決心を表しているが、誰もこのような上の句から、このような下の句が導きだされるとは、思ってもみなかったに違いない。それが少しも不自然ではなく、春霞のような心が、そのまま強固な覚悟に移って行くところに、西行の特徴が見出せると思う。その特徴とは、花を見ても、月を見ても、自分の生き方と密接に結びついていることで、花鳥風月を詠むことは、彼にとっては必ずしも楽しいものではなかった。(白洲正子「西行」より) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 五色台/西行の道にて mail/追加 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 名古屋の桜が開花したと同時に当地も開花しました。 明日は雨で「花に雨」が早い時期に通過してくれれば良いのにと思います。 西行忌を喚起してくださりありがとうございました。 うっかりしていました。 空になる心は春の霞にて世にあらじとも思ひ立つかな から 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ まで 西行の生きた時代を考えてみました。 そして富士の煙同様行く先を見定めることができなかった 「わが思い」はなんだったのか? 中野孝次はこの「思い」は命と読み替えてもよいでしょうと言っています。 窪田章一郎の解釈と異なるところです。
by guminoki77
| 2008-03-23 22:44
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